昨年夏の頃、熱海町高玉地区の山頂に風力発電所を建設する目的で、数名の地権者を知人から紹介してもらい、お会いして現地をご案内してもらった。
磐越道から見える山だ。山に行く途中で開けた所に差し掛かった時に「ここには高玉金山の採掘会社の社員が6000名住んでいた」と案内人が話された。郡山に住んで半世紀にもなろうとしているが、初めて聞く話にびっくりした。
歴史春秋社から発行されている安積歴史入門(安藤智重氏著)43頁に「高玉金山」の欄にその辺の所が記載されている。
引用すると・・・高玉金山には、全国から2~3000人の人々が集まった。家族を含めれば6000人の大所帯であった。金山への米の供給を担った高玉の「佐藤水車」が米の買付を始めると米価が上がるとさえ言われた。大正時代から、早くも文化的な生活が展開され、2面の大グランドがあり、野球、スキー、テニスなどのスポーツも盛んであった。社員社宅街は、東京の山の手を思わせる佇まいで、山神祭(さんじんさい)や運動会の華やかさは、別天地のようであった。500人収容の集会場では映画の上映も行われた・・・・とある。
案内人の知人も小生と同年代位だが(良く分からずに、もっと若い!と苦情がくるかも!)山の友達の家に遊びに行った時に、紅茶やコーヒーとお菓子を出されてびっくりしたと昔を懐かしくお話された。
今年になり、熱海支所の2階にある図書館に行って調査を開始したが、何の資料も展示も無い。更に調査して歴史に埋もれた街をご紹介したいので、その辺の資料をお持ちの方是非お見せください。