会津鉄道

 

会津鉄道

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芦ノ牧温泉駅
2011-02-14
 芦ノ牧温泉駅は会津若松市大戸町上三寄(かみみより)にあり、会津鉄道になる前JRの時は上三寄駅と称した。芦ノ牧温泉までは車で15分位であり、阿賀野川の支流である大川には会津の殿様であった芦名家の梁場(やなば)が設けられ、芦名家の軍馬放牧場であって「芦名の牧」から芦ノ牧となったそうであるが、いまでも旧道から入る梁場に「殿様梁場」との名称を使用している。数年前にこの梁場で鮎を食べた。
この駅舎は何度か訪問しているが、名誉駅長である猫の「バス」には一度も面会出来ていなかった。行く度に散歩中であったり、住処で熟睡中だった。今回は出迎えるているかのように駅舎の玄関に堂々と居てくれていた。
縁があって冬の会津線の駅を訪問する回数が多くなっている。地元で生活する方々には今年の冬は雪が多く大変であるが、久し振りに大雪を見て昔を懐かしく思い出している。
名誉駅長がいるお陰で遠くからの観光客も多く、又、御土産の売り上げも上昇しているようである。TVにも取り上げられ人気に支えられて会津線の利用がますます進むことを念願している。
 
ふるさと公園駅
2011-02-14
 2002年に会津下郷駅と養鱒公園駅(ようそんこうえんえき)の間にできたあたらしい無人駅。近くに大川ふるさと公園があるが、町のホームページにはこの公園の宣伝が無い。大内宿や塔のへつり(誰かがジャパングランドキャニオンと言った事があり失笑をかっていた)の宣伝は行き届いているのに惜しい。
会津下郷駅や養鱒公園駅は会津線となった1987年以降の名前で、私には「楢原駅」とか「落合駅」の方が馴染み易い名前である。サバシリと言う地名があってサバではなくマスの釣り堀があった。そこで養鱒となった訳であろう。
ふるさと公園駅で車を停めていたら、3台の車が私の車を挟むように停まった。そこに上りの列車がホームに入った。降りてきた女学生を迎えにきた家族の方の車だった。迎えが当然のように無言で車に乗り、少しうす暗くなった冬の夕暮れの中、帰宅を急ぐように車はサッーと走り去った。
 
会津下郷駅
2011-02-14
「会津下郷駅と言う名称は昔なかった。俺も小学生だったが、なぜ下郷に楢原と言う名前が・・・と思っていたので、 国鉄時代の駅名は楢原駅だったね!?」と訊くと、「うーん?」と伯父から返事が返った。そうか叔父は只見育ちだったから、その頃の事は私の方が詳しいかもしれない。調べたら、1934年にやはり「楢原駅」として開業し、JRになり、1987年に会津鉄道に変わってから「会津下郷駅」に改称されている。駅舎は森林組合と棟続きで、売店には似合わない「長靴」「鎌」「地下足袋」などホームセンターの品物が置いてあった。
昭和30年当時の町の人口は14,000人でピークであったが、徐々に減り今や半分の人口である。下郷町役場のホームページを見ると、「塔のへつり」「大内宿」など観光に力を入れている。
駅の引き込み線に「AIZUマウントエクスプレス」2両があった。調べたら昔、名鉄JR高山線で特急「北アルプス号」として運行していた車両が2001年に会津線で快速電車として走っていたが、この度廃車となり競売に出されたという事であった。雪に埋もれた電車はどことなく寂しそうであった。町でこの車両を購入して、町の公園を整備してここに安置し、全国の鉄道ファンに見て頂くようにできなかったか?観光に力を入れている町であれば、その辺の情報があっても良かったのではなかろうか。「キハ8500系」は鉄道マニアに大変人気のあった車両で、私もずーとこの車両を見ている間に、この車両の将来を少し覗いてみたくなった。
 
湯野上温泉駅
2010-11-14
会津鉄道は西若松駅と会津高原尾瀬口駅を結ぶ鉄道である。その延長路線に野岩線や東武鉄道があり、東京の浅草までつながり、会津と首都圏を結ぶ大事なルートである。この三線には温泉の文字が入る駅が、北から芦ノ牧温泉駅・芦ノ牧温泉南駅・湯野上温泉駅・上三依塩原温泉駅・湯西川温泉駅・川治温泉駅・鬼怒川温泉駅と山間の温泉地を巡り、鉄道ファンのみならず温泉ファンにはたまらない路線でもある。私は浅草から鬼怒川温泉に泊まり、若松から郡山と乗った事あるが、こんどは川治か湯西川で泊り浅草まで旅をしたいと思っている。
さて、湯野上温泉駅は日本で唯一の茅葺屋根の駅舎で内部は囲炉裏などもあり、テレビでも度々登場する有名な駅である。
昔は温泉の文字の無い単なる湯野上駅だった。私が小学生の時分、子供会(育成会)で親と一緒に夏休みに数度来ている。当時、多分「花水館」(今では場所は違うが同じ名前の立派なホテルが存在している)と言う名の木造2階建の温泉宿で、東京電力の水圧管路(大きなパイプ)が傍にあり、大川沿いに存在していた。親たちが会合(おしゃべり)している間に大川で水泳をして遊んだ。そして誰もが河原の石をどけて砂を掘ると湯が湧き出す事をしっていた。河原に大きな風呂(溜め湯)をつくり泳いで寒くなると温泉に浸り、又川に・・と何度も繰り返したものだった。
下郷町には大内宿がある。一年を通して多くの観光客で賑やかである。特に紅葉の頃がピークだそうだ。「・・この村のひとたちは良く稼いで・・・村を守り、そして長い間火事を出さなかった。・・結束も固い上に、特別に大きな財産家もない。村人を出し抜いて自分だけは良い生活をしようとする人もいなかった事がこのような村を残した」とは、かの民俗学者の宮本常一の言葉である(宮本常一作品集18巻)今ではこの村人たちの生活は観光に支えられて豊かに見える。観光客の大半が高齢者でお土産や食事に落とすお金は大変なものと推察する。最近では外国人の姿も多いとの事。
かつて下郷町は1万4千人の人口があったが、今では半分の7千人に減り過疎が進む町である。白河の甲子高原からの道も整備され、ますます観光地として発展していくことだろうが、食べた蕎麦の価格が、その味と比較して、やや高いのが気にかかる。観光地は謙虚な場所が客から認知される要因と心がけるべきであろう。
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