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会長の「ひとりごと」

会長の「ひとりごと」

時折、喜・怒・哀・楽にメリハリつけて感ずるがままに綴っています。

わたしの「ひとりごと」に時々お付き合いください。そして…わたしの安否確認もお願いします。

ブログ

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友(本田任君)との別れ

2021-02-17
  会って食事して、福島の夜を散歩して、人の来ないスナックを選んで、いつものカラオケオンパレード。それも決まって1960年代の懐かしい青春もの。正則君が選曲して、1番は任君、2番は正則君か私、3番は全員で合唱。寺島君は聞き役。それがお決まりのコースだ。
春は時と都合が合えば、二本松霞ヶ城での花見と寺島君の家での飲み会。昔話やつまらぬ話が面白く最終の電車を逃すことも珍しいことではなかった。

昨日、本田任君が亡くなった。連絡があり彼の家に初めて入った。「任君!」と大きな声を上げたが、彼は静かに寝ていた。ガンとの壮絶な戦いを知っていたので、耳のそばに顔を近づけて、感謝の言葉と「もう疲れたべ。今度はゆっくり寝てくれ」と話す。涙でマスクがしょっぱくなった。

 このコーナーで前にも書いたが、中学生時代は一緒に「力道山」を見て興奮し、同じ部活の剣道部で汗を流し競い合った、39年の東京オリンピックでは二本松市内の聖火ランナーをした仲間だ。二本松中学校剣道部の仲間だった安齋賢一も数年前になくなった。菅野彰も大病中だ。あの時のメンバーはもう集まることが無いと思うと空しく寂しく切ない。
 飲み会に行くときには何にも感じなかったが、今となれば、あれもこれも・・・話したいことが沢山あった。我々は、まだまだ話の途中ではないか。

 産婦人科の医師として長年にわたり多くの新しい命を取り上げた任君。「地震どうだった?身体はどうだ」との私の問いに「結構な被害をうけました。ビックリしました。小生の体調は回復しません」と14日のLINEが最後となった。3年前の花見に大腸ガンから肝臓に転移していることを他人事のように我々に公表しコロナ禍の中、昨年7月15日の夜間までカラオケスナックまで同行してくれた。戦いは壮絶だったと思うが自分のことは後回しで、周りに気を使って笑顔で接してくれた。16日午前1時53分に彼の命が絶えた。
 「本当に出会った者に別れはこない。あなたはまだ、そこにいる」(谷川俊太郎)
 しかし、私にとって、しばらくの間は「無念と寂しさの時間」に支配される。

こんな状況で本当に五輪できるの?

2021-02-12
 「辞めさせたい」との多くの意見は、「あのような発言は許容される発言か」そして「国際的にみて日本はどのように見えるか」を基準に、いろいろ意見を発信している。

 またもや政治家が考えている次元と、一般人との考えの隔離だ。
 永田町というムラの長は世間のザワツキに関心をもたない。ムラでは長い間の慣習で、時が過ぎるまで沈黙するか、「さぁー、あんたはどう思う!」など開きの直ったトボケが通用していたのだ。
 恥ずかしいことに政治は三流と言われる原因だ。国民は恥ずかしいことが分かっていたから沈黙しないで大いに発言し、いよいよ辞任となった。

恥ずかしさを理解している方が会長になれば良い。五輪がんばろう!。でもこんな状況で本当に7月開催できるの?

せんせいのみなさまへ いまこそだ!

2021-01-28
  早いもので新しい年(元日)から早一ヶ月が過ぎようとしている。
 
  テレビでのニュースやワイドショーは「コロナ」だらけで、うんざりしている方も多い。見ていると気が滅入る。ワクチンの接種方法も論争の一つに挙げられ、その効果も含めて、治療方法が確立していないために不治の病に見えるからだ。
 
  国会の論争も未来が見いだせない。けなし合うだけの「論争」に終止符を打って、とりあえず陽性者の発見と隔離と医療体制について「智慧」を出し合って、国民を守ることに全力を出し合おう。国会議員は立候補したときの国民へ発した選挙公約(約束)をいまこそ実現しよう。自分と国民との約束は、立派な言葉で飾られていたよ。今こそ国会議員の存在感が試されている。各自、思い出しておくれ。
 
  もう少しの辛抱で収束して明るい未来が来ると信じて我々も行動するのみだ。
 

高玉金山のこと

2021-01-20
 昨年夏の頃、熱海町高玉地区の山頂に風力発電所を建設する目的で、数名の地権者を知人から紹介してもらい、お会いして現地をご案内してもらった。
 磐越道から見える山だ。山に行く途中で開けた所に差し掛かった時に「ここには高玉金山の採掘会社の社員が6000名住んでいた」と案内人が話された。郡山に住んで半世紀にもなろうとしているが、初めて聞く話にびっくりした。
 
 歴史春秋社から発行されている安積歴史入門(安藤智重氏著)43頁に「高玉金山」の欄にその辺の所が記載されている。
引用すると・・・高玉金山には、全国から2~3000人の人々が集まった。家族を含めれば6000人の大所帯であった。金山への米の供給を担った高玉の「佐藤水車」が米の買付を始めると米価が上がるとさえ言われた。大正時代から、早くも文化的な生活が展開され、2面の大グランドがあり、野球、スキー、テニスなどのスポーツも盛んであった。社員社宅街は、東京の山の手を思わせる佇まいで、山神祭(さんじんさい)や運動会の華やかさは、別天地のようであった。500人収容の集会場では映画の上映も行われた・・・・とある。
 
 案内人の知人も小生と同年代位だが(良く分からずに、もっと若い!と苦情がくるかも!)山の友達の家に遊びに行った時に、紅茶やコーヒーとお菓子を出されてびっくりしたと昔を懐かしくお話された。
 
 今年になり、熱海支所の2階にある図書館に行って調査を開始したが、何の資料も展示も無い。更に調査して歴史に埋もれた街をご紹介したいので、その辺の資料をお持ちの方是非お見せください。

いろいろ考えさせられた稲庭うどん

2021-01-12
  秋田県に住む友人から送られたお歳暮は、大好きな稲庭うどん。夕べは我が家での定番料理の一つ、父母のふるさとである山形県の郷土料理の「納豆うどん」にしてご馳走になった。
 
  包装を開いたら白い封筒があり、友からのメッセージが入っていた。文面には次のような文章が綴られていた。
 
・・・「少し思うところがあって、それをどう伝えたら良いか迷っておりました。単刀直入に言いますが、盆暮れの贈答は今回限りにしたく思います。実は私の叔父が退職したから両三年ほど経って、同じように言われたものです。“勤め人は、退職したら贈答はやめよう。贈答無しでも仲良く付き合えるものだから” 意味を考えてなるほどと思い、退職後は兄弟知人、殆どの贈答はやめました。と言いつつ最後の秋田名物をお送りしましたのでご笑納ください」・・・
 
 考えてみれば彼とは結婚当時から盆暮れの贈答の応酬で、やり取りは40年にも及ぶ。直ぐに受話器をとって彼に電話をかけた。
 
 迷わせて悪かったこと、また申し出に対しては快く受けることを伝え、こちらも社長業という第一線からの「退職」を報告した。お互いに何となく慣習に縛られるのではなく、形や物や義理でない、心と心とで通じ合う本当の付き合いを確認した「おいしい稲庭うどん」だった。
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