会長の「ひとりごと」
時折、喜・怒・哀・楽にメリハリつけて感ずるがままに綴っています。
わたしの「ひとりごと」に時々お付き合いください。そして…わたしの安否確認もお願いします。
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いとこの「死」
2026-08-12
8月10日と11日の「日経新聞」に「私たちはどう死ぬか?」との論文が掲載された。
団塊世代が終末期に近づいている現代において「終活」が高齢者だけでなく若者も考えているという。なんでも「終活サービス」と言う自分の死後に送るメッセージを預かる代行サービスがあるようで、その利用者は30代以下が半数だそうだ。
「若者は自分の将来に期待しておらず、だから身近な人を大切にしたいと思いが強く、終活を考えている。それが利用の動機になっている」そのような思考だそうだ。納得はできないが、終活は高齢者が行うもので、私の仕事である「空家対策」について、今まで高齢者側の立場でおこなってきている。
筆者は問いかける。
「死ぬ」という人生最後の大仕事を、どうまっとうするか
どのように「死」に、誰に「死後」を託して、どこで永久に安らうのか
しかし、それは誰かに任せるのではなく、自己決定する課題だと結論づけていた。
今日、「いとこ(A)が亡くなった」と、Aの家の近くに住む従弟(B)から連絡があった。亡くなったAは独身で子供がおらずに母と二人暮らしだった。
親子の死が逆転するケースは、長寿時代においては悲しいことではある。いとこAには姉もいたが、彼女も数年前に東京で孤独死している。Aの母(叔母)は健在のようだが、高齢で施設に暮らしていてその上、認知症で我が子の死を認識していないとBは言っていた。 叔母は娘にも息子にも旅立たれ家族には縁のうすい人だ。
葬儀はせず、従弟のBが弔うようだ。私は、この秋にもいろいろな思いを抱きながら墓参したいと思う。
死んだ人間は(私より)まだ若い。50代後半か。自己の死について準備してきたかどうか。だれしも元気なうちは「死」について考えたことがない。病院に入り、食欲がなくなり、点滴をうけても「死」は考えないだろう。
健康なうちに「死」と向き合えといっても「死」は突然くるものだ。
死人の祀り方は、残された家族で行うしかない。家族がいないときは、当事者がその時を想像して事前に知人か隣人に相談しておくしか方法はない。
どのように祀り、どこに祀るのか。若いうちから「死」について考えていたほうが良い。
広島・長崎に思う反戦の誓い
2026-08-06
広島・長崎原爆から81年
昨年(2025年)は広島・長崎と両市を訪れ、改めて原爆の恐ろしさと反戦への誓いを新たにした年だった。今日は81回目の原爆の日。松井一實広島市長の平和宣言を車中で聞いた。
冒頭では、
「私たちが暮らすこの地球上では、核を脅しの道具に使った軍事侵攻や国際法をないがしろにする大国の横暴な振る舞いが繰り返されています」続けて、
「このままでは世界中で不信の連鎖が進み、欲望がむき出しになっていた第二次世界大戦の時代に回帰してしまいます。核兵器の非人道性を軽視し、自国の繁栄のための武力行使を認めることは、暴力を伴う報復の連鎖を許容し、第三のヒロシマ・ナガサキを作り出すことになりかねません。」と警鐘をならした。
「価値観の異なる人々との国境を越えた交流を深めてください。そうすることで、嬉しさや楽しさ、夢や希望を共有することができます。既に世界の多くの若者が、広島を始め様々な場で被爆の実相を学び、交流を深めています。皆さんも平和のために日常生活の中でできることを実践し、自らの思いを発信することで、その行動の輪を広げていってください。こうした取組は、お互いを認め合う平和文化を世界中に根付かせ、核兵器廃絶を国際社会の常識にすることにより、為政者が核抑止力に依存することを認めない環境づくりにつながります。」
と、AI等に頼らない、真の会話や交流を通してお互いを理解し合いが重要と力説し
「日本政府には、日本国憲法が掲げる崇高な理想を深く自覚し、国際社会において名誉ある地位を占めるための歩みを止めないでいただきたい。とりわけ、各国との分断や対立が生じかねない厳しい安全保障環境にあるからこそ、国民に犠牲を強いることのないよう、したたかで粘り強い外交に徹する中で、国際社会の平和と安定に向けて貢献し続けることを表明し、実行していただきたい」
と日本政府がなすべき平和への立場に言及した。
原爆資料館では、原爆の惨状や破壊された身体と暮らしなど多くの残された写真と資料を見た。あまりの悲惨さに誰でもが目を背けたいが、過去のことではなく現在の戦争への恐怖につながる「悲惨の直視」が必要である。
自身、福島県奥会津の小学校の図書室で、偶然に手にした広島原爆の写真集の衝撃はいまでも心に残っている。なぜか、その夜は怖くてトイレにも一人で行くことは出来なかった。
もう二度と戦争をしてはならない。人を傷つけ殺してはならない。戦争は全てを破壊し、人々の心に何百年にもわたり強い憎しみを残し受け継がれていく。
うま過ぎる!
2026-07-25
芸のないタレントや若いアナウンサーが食レポで「ううんーうま過ぎる!」 って料理を褒める「食」の番組を見る度に嫌気を覚える。
本当にその店をその食べ物をその味を褒めているのか?常に疑ってしまう。過ぎるとは、何を基準に何かを過ぎるのか?
その昔は誰でも、「食べながら話をするな」と、親から躾を受けた。今は、食レポは職業人のアナウンサーにもさせている。話の手本となるべきアナウンサーとしての職業人(プロ)が、「口に食べ物や飲み物を含ませてお話している」これで良いのか! 食べて飲み込んでから口に何もない状態で話をするのが本来の礼儀である。
論語に「過ちて改めざる是を過ちと謂う」とある。解説には「人は過ちを犯したらすぐに反省して改めるべきであり、過ちを犯して改めようとしないことが本当の過ちであるということ。」とある。過ぎるには悪い使われ方と良いとの意味合いの両方がある。「過大評価」反対に「過小評価」のように。
また「過ちを観て仁を知る」との言葉がある。解説には「人の過ちの種類を観察することによって、その人の人柄がわかるということ」とある。「過ちは人の常、許すは神の業」とも言うようだ。
くだらない芸人の言動に目くじらを立てずに看過すれば良いものを、自分なりの正義感も時には人を傷つけることもある。時折自己反省しながら、むやみに世の中の風潮などを責めずに「適当に良い爺」になりたいとおもっているのだが・・・。
今年初めての「渓流釣り」に奥会津へ
2026-07-15
ずーと投稿しないでごめんなさい。私は元気です。(8月に喜寿を迎えます)
朝4時にアラームが鳴るようにスマートフォンを設定し就寝。
3時半に起きてアラームが鳴るか、どうか?スマートフォンを見つめる。
時間通りに鳴ったが音が小さい。「これでは起きられない」と悟る。いやいや、そうではない。私は日頃「補聴器」のお世話になっている。加齢に伴う難聴なのだ。音量を大きくする機能もあるだろうが。
朝5時前に集合場所に着いた。目的は「なべちゃん」「しんちゃん」と「よっちゃん」(私)の3人で熊がたくさんいる奥会津に魚釣り。狙うはイワナ・ヤマメ。渓流の流れと青葉繁る山を見たくなったのだ。今年も4月に解禁にはなっているが、「なべちゃん御家」の事情があり実現できなかったのだ。大勢で賑やかに遊ぶを第一に信条にしている3人組だ。年齢も全員60歳以上の高齢者(老々介護)
郡山市から羽鳥ダムを越え、下郷町から南会津町。そして舘岩、桧枝岐と福島県の西部地区を廻る。時間があったので明和地区(只見町)まで足を延ばした。
山道を走ると3人がそれぞれ持っている「熊鈴」がリンリンと車内に響き、まるで音頭をとっているよう。
7月の釣りは暑い。ましてや胴長(ゴム製品)の装着と首に虫よけのタオルを巻き、長袖で完全武装(?)だ。大量の水を飲みながら山遊び、川遊び。
カジカが釣れリリースしたかったが針を飲み込んでしまったので持って帰り、帰宅後に処理の上、炙り、熱燗に浸し「カジカ酒」に。
カジカの香ばしい味が酒に混ざり自然に「フー」と声が漏れ、疲れも吹き飛ぶ極上の酒を楽しんだ。(ちなみに酒は二本松檜物屋酒造の甑峯)
これからの山(川)は虻があちこちから湧いてくるので釣りどころではない。9月になったらまた、3人で出掛けよう。それまで足の筋力をつけるよう努力しよう。
4月の旅ご報告 長野県5城めぐり ②松本市・諏訪市・伊那市高遠町
2026-04-28
さて、2日目(9日)も桜が似合う青空が広がっている。
宿泊場所は山間に位置し、美ヶ原から下るようにバスで国宝「松本城」に見参。以前に来た折は見学時間が過ぎていたので、初めて天守閣に登城。急な階段にはそれぞれに係員が付き安全を見守る。天守閣からの眺めを堪能し、時間があったので外堀を一周した。
どこから見ても絵になる国宝の城だ。
松本市を後に諏訪市に向かう。行先は諏訪湖の畔、諏訪「高島城」昭和45年に天守閣が復興されたお城で、諏訪市役所の近くに位置している。ここも満開の桜が迎えてくれた。城郭は高島公園と呼ばれて整備されている。三層の天守閣に登城し諏訪の街を見晴らした。
その後は再びバスに乗り込み、伊那市高遠町に向い楽座紅葉軒で高遠蕎麦を味わう。古い歴史のある高遠城であるが江戸時代の一時期に保科正之公がこの地を治めていた。我が会津藩の若松城の城主でもある。会津地区でも高遠蕎麦を食することができるのは会津松平家の祖である保科公のお陰だ。広い高遠城址公園を覆うように咲き誇る桜を愛で大いに散策した。
バスはJR東日本中央線の茅野駅に行きここでバスともお別れ。「あずさ50号」で新宿駅に向かう。新宿から湘南新宿ラインのすし詰め状態で旅の途中で知り合ったご夫婦とともに大宮駅へ。その方々は宇都宮までご一緒だった。名前も分からないがご案内いただきありがとうございました。心より感謝申し上げます。
5つの城(城址も含めて)巡りは天気に恵まれ、桜は満開から少し散り気味であったが、長野県を駆けるようにバスからも眺めて一泊二日の短い旅を心から満喫した。城があって、石垣があって、お堀があって、桜がある。ふたつが揃う春は誰しも文句のつけようがない。




